東京都内で観られる巨匠のデザイン ~F.L.ライト建築@自由学園明日館~

自由学園明日館 インテリアデザイン

今回は、先日訪れた西池袋にある自由学園明日館について書いていきます。

*以降、敬称略で書いていきます。

近代建築の三大巨匠の一人として有名なフランク・ロイド・ライトが設計した建物です。

Wikipediaよりフランク・ロイド・ライト氏

1921年(大正10年)に「自由学園」という女学校として創立。

その後、生徒が増えたため学校は東久留米市に移転されますが、

卒業生の様々な活動の拠点として「明日館(みょうにちかん)」と名前を新たにし、利用されていました。

関東大震災と第二次世界大戦を免れたものの、老朽化が激しく、

現存するものは、一度全部バラシてから、再利用できる資材を用いて、極力当時のものに寄せて再建されたそうです。

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訪れたきっかけは1冊の小説

先日紹介した「帝国ホテル建築物語」という本を読んで、自由学園明日館のことを知りました。

フランク・ロイド・ライトが、(旧)帝国ホテルの設計をしたことは有名な話ですが、

この小説の中で、自由学園の設計依頼を受け、帝国ホテルと同時進行で進めていた様子が描かれていました。

登場人物

帝国ホテルの建築にあたり、ライトのアシスタントを遠藤新が担っていたのですが、

自由学園の設計の話は、元々は遠藤にもちかけられた相談でした。

Wikipediaより遠藤新

依頼主は、羽仁もと子。のちに、婦人之友社の創立者となる方であり、日本人初の女性ジャーナリストでもある女性です。

彼女は当時(戦前)から、日本の詰込み型の教育に危機感を抱いており、

自分で学校を造ることを決意し、その想いも込めて遠藤に相談をしました。

教育についての考え方や学校という場への想いを聞いた遠藤は、

その空間を実現させるのは、ライトが適任だと思い、紹介に至ったようです。

あっと言う間に・・・

小説を読んでいてるとわかるのですが、当時帝国ホテルの建築は順調に行っておらず、

かなりフラストレーションを抱えていたライトにとっては、

気分転換にもなり、創作意欲を満たすのにちょうど良いタイミングだったように感じます。

そんな状況のライトとバイタリティ溢れる羽仁もと子が組んだからかどうかはわかりませんが、

かなりのスピードで学校は建築されています。

大正10年(1921年)

1月中旬 ・・・ ライトに設計依頼

1月下旬 ・・・ 建築予定地視察

2月   ・・・ 設計・図面確認

3月   ・・・ 工事着工

4月   ・・・ 入学式

わずか、3か月ほどで完成!仮設現場並みの強行スケジュールです。

といっても、西側の教室1室で、

黒板が設置されてないどころか、まだ壁の仕上げもされていない状態で入学式を行ったようです。

4月15日に入学式は行われているようなので、

入学式を遅くとも4月中旬までには済ませたかったというところかもしれませんね。

この後、徐々に学校全体が出来上がっていきました。

外観でもうライト建築がにじみ出る

さて、背景の話が長くなってしまいましたが、建物自体に触れていきたいと思います。

まずは建物の外観から。

外観ですでに、ライト建築らしさが溢れ出ていてテンション上がります。

引きで撮り切れないので、動画でご覧ください↓

低めの屋根と少し深い庇が水平ラインを強調しているプレーリースタイルが、とてもわかりやすいと思います。

ライトが活躍したミッドセンチュリーモダン時代は、アシンメトリー(左右非対称)が特徴としてあげられますが、明日館を観てわかる通り、シンメトリー(左右対称)になっているのはライト建築の特徴の一つです。

また、窓に施された幾何学模様も、構造美を大切にしていたライトらしい装飾です。

ライトが大事にした「体感する空間」

さて、実際に内部がどんなレイアウトになっていたのか、下の図でわかります。

会場掲載展示物より、「草創期の様子」

権威社会の中での平等

青い手書きの矢印は出入り口を示しています。

当時、出入り口は複数あるのが一般的で、中央の出入り口は”偉い”先生が使用し、子供たちは端の出入り口を使用することが一般的だったようです。

しかし、羽仁もと子がキリスト教徒だったこともあり、ここでは、神の元で皆平等であるので、どこからでも自由に出入りしていいとされていたそうです。

さて、そんな入り口から中に入るところに、またしてもライトの特徴が感じられる仕掛けがあります。

圧迫感と開放感

ライトは、玄関や廊下など、ただ移動するためだけのスペースに重きを置かないスタンスでした。

その分、皆が集まる場所・滞在する場所にスペースを割き、ゆったり過ごせるようにしたいという想いがあるからです。

明日館も例外ではなく、出入り口や廊下、踊り場は天井が低く少し圧迫感を感じる狭さです。

しかし、その空間を体感してからホールや食堂に移動することで、

天井の高い開放的な空間を、より実感することができるようになっています。

動画で廊下からホールへ抜けるところを撮影したので、視界の手前から見えている天井が抜ける様子をご覧ください↓

食堂に着いた時も、拡がる空間と統一された装飾性に自然と声が漏れました。

廊下踊り場から食堂への階段
食堂

でもちょっと問題もあったとか

外観も内装もライトらしくて、とても素敵なのですが、ちょこちょこ不便さもあったのではないかと言われている点がありました。

勉強するには暗かったのでは?

教室は、あえて電気を消した状態にされていました。

これは、当時は写真にあるような電球がなく、窓からの外の光のみで勉強していた様子を再現しているそうです。

写真では、左側からも明かりがありますが、これは再建時に窓が追加されたためで、学校だったころは、建物正面側のみ窓がありました。

当時の勉強風景も写真で掲出されていましたが、手元とかけっこう暗かったのかもしれません。

大谷石は使いやすいが・・・

冒頭で紹介した小説を読むと、ライトが大谷石を非常に気に入っていることがわかります。

大谷石は、他の石と比べると軽く、加工がしやすいため、重量課題がありながら、装飾性を求めていた旧帝国ホテルでは大活躍した石です。

そして、明日館でも大谷石を使用しているのですが、その場所はなんと廊下の床材にまで及びました。

人の行き来が多い廊下なので、かなり早い段階から摩耗してガタガタになってしまったようです。

再建築時に劣化しにくいように加工済

ライトは建築途中で帰っている!?

超スピードで明日館は出来上がったと、冒頭で書きましたが、増築なども加わり、最終的には1924年に完成しています。

しかし、ライト自身は帝国ホテル側と揉めていたことがあり、実は1922年の夏にはアメリカに帰国しています。

ライトの後は引き継いで、帝国ホテルも明日館も完成に導いたのが、ライトのアシスタントをしていた、弟子の遠藤新です。

明日館には、通りを挟んで向かい側に講堂も建てられていて、こちらも遠藤新の設計です。

講堂外観
講堂内観

もちろん、ライトは全部投げ出して帰国したわけではなく、指示を残していったということですが、

想像を超えるご苦労だったと思います…

おススメの見学方法

池袋駅自体が広いので、ちょっと迷う可能性もありますが、

池袋というアクセスのいい場所ではあるので、是非お近くに来た際には訪れてみてください。

ご自身で建物内を観て回るだけでもいいですが、

ガイドさんが案内してくれる時間帯があるので、それに参加されることをお勧めします!

ガイドを聞いた後で、ゆっくり自分のペースで回り直し、

最後は食堂の喫茶で空間を味わうのが、私のおススメの見学順序です。

*見学できる場所、ガイドさんの時間帯はHPを事前にチェック

先日、数年ぶりに再開となったビアテラスにも参加してきましたが、ライトアップされた明日館もとても乙でした。

明日館にいると、大都会池袋にいることを忘れてしまうほど、ゆったりとした時を過ごせますよ。


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miko

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