今日は最近気になったことを挙げてみたいと思います。
2020年7月1日からプラスチックレジ袋削減のため、有料化となりました(経済産業省HP)が、この施策について先日Twitterで見たつぶやきに、ちょっとびっくりしました。
内容としてざっくりですが、
毎日3円で買ったとしても年間で1,080円にしかならず、2000円ほどするエコバックを買うなんてコスパ悪すぎる。持ち歩くのもめんどうだし、こんなの意味がない。
というものでした。
さらに驚いたのは、これに対して結構賛同してる人が多くて(いいねが多くて)、「計算までしてませんでした、気付きありがとうございます」みたいな返信までありました。
私がなにに引っかかっているのかというのは、たぶん大半の方はわかっていると思うのですが、
この意見、レジ袋削減の本質を完全に見失っているのです。
この施策の背景には、SDGs(持続可能な開発目標)があり、2030年までに世界みんなで取り組んで現状を改善していこうねっていう国際社会共通の目標であるわけで、
コスパでやってる施策じゃないんですよ。
この方のツイートには、購入した袋は家でゴミ袋になるし、買って無駄にならないとしていますが、それがなかったとしたら、限られたビニール袋の数でどうゴミをまとめるのか考えるようになるし、ものを購入するときに、できるだけゴミにならないように過剰包装を避けるといった傾向にも繋がります。
全体の意識を変えるという意味で、身近なところから始められるものにフォーカスされた最初の1歩だと、私は思っています。
もう一つは、ネット上の記事です⇩
エコバックを持っていなくて必要なら買えばよくて、その機会を全体で減らしていければいいのです。
総量が示されていないので0.4%はどれぐらいかもわからないですが、少量ではないと思いますし、
実際に食べ物と間違えたり、満腹感が解消されないまま栄養失調で死んでいる海洋生物が毎年沢山出ていることは無視できない事実です。
地球規模で考えた施策というのがごっそり抜けていて、
「”自分"にとって得かどうか」だけで考えてしまっているのではないかと思います。
日常にもある「本質迷子」
ある問題があった時に、「本質」というものがあるはずなんですが、
そこがいつの間にか自分の身近なこと・自分の損得にすり替わってしまうというか、
自分の関心が強い方に意識がいってしまって本質とズレた議論になってしまうことは、日常的に見られるような気がしています。
会社の会議である事象について話している時に、話がそれていってしまって、終了時間に結局何も決まっていないとか、途中まで決まっていたことが、突如出てきた視点に流されてしまう(それが本質ならいいのですが)とか。(きちんとしたファシリテーターがいればいいのですが…)
最終目的はなんなのか、ということが明確になっていて、それが共通認識とされているかが本当に大事ですね。
レジ袋の話であれば、目指しているのはコスパなのか環境の話なのか、
会社のプロジェクトの話だったら、コンセプトなのか、コストなのかといったようなことです(綺麗に2択になることはまれかもしれませんが)
レジ袋の話に関しては、日本でSDGsが浸透していないことにも問題もおそらくあって、単にまたエコとか言い出して始まった施策だと受け取っている人は少なくないように思います。
自分の意見を言う時や、議論をしないといけない場面は色々あると思うんですが、そういった場面で本質を見失わないように気をつけていこうと思いました。