今回は、私が周りの反応に気疲れしすぎない方法として学んだことをご紹介します。
以前書いた記事の中でも紹介したワーママはるさんが、voicyという音声メディアで過去に挙げていた内容を織り交ぜながらご紹介したいと思います。
『良し悪し族と好き嫌い族』
この言い方は、一橋大学ビジネススクール教授の楠木 建さんが書いた著書『すべては「好き嫌い」から始まる 仕事を自由にする思考法』に由来するらしいのですが、
『良し悪し』とは、「正しいか正しくないか」という判断基準のことで、
社会一般的なルールやモラルは、この『良し悪し』が共通概念として働いているため、ある程度調和が取れることになります。(究極系は法律)
しかし、この『良し悪し』というのが社会という広い枠組みの中ではなく、もっと細分化された中に降りてくると、それはそのコミュニティーの中の判断基準となり、その最小単位は個人になります。
しかし、社会的的な『良し悪し』には普遍性がありますが、細分化されたコミュニティー内での『良し悪し』は、外の人から見ると(異なる判断基準を持つ人々)、普遍性がなくなります。
つまり、『良し悪し』ではなく『好きか嫌いか』という好みの問題になるのです。
「正義」対「正義」に決着は着かない
個人単位の『良し悪し』は、個人の主観である『正義(意見)』になります。
例えば極端な例ですが、
カフェインを取ることは良くないと思っている人とコーヒーが好きな人がいたとして、
カフェインは交感神経を刺激して眠れなくなったりするし、歯にステインは尽くし、あげくカフェイン中毒になるから飲むべきじゃない!!という人と、
コーヒーを飲むことで脳の働きが活性化されて仕事の効率が上がり、疲れたときにコーヒーの香りはリラックスの効果もあるし、コーヒーを飲む習慣のある人は長生きしているという研究結果もあるから飲むべきだ!!という人の、
『良し悪し』は個人の『正義』と『正義』の戦いになり、決着は着きません。
「カフェインは飲むと身体に良くないから私は飲まないけど、あの人は飲むんだな」
「コーヒーはこんなに美味しいのに、あの人はカフェにきてジュースを頼むんだな。私は飲むけど」
と心の中で、その考えは好きではないけど、そういう人もいるんだなと処理をできれば、
無駄な争いも、イライラも起こさずに済むのです。
ワーママはるさんの身近な実例
ワーママはるさんは、この回で職場で管理職の人が有給休暇を取った際の同僚の反応について話していました。
管理職なのにとか、このタイミングでとか、いろいろヒソヒソいう人がいたそうです。
これが、引継ぎもせずに有給を取るとか、業務に多大な影響がでるというような実害があればまた違うのかもしれませんが、
会社としては特に規定はなく、いつとってもいいはずなのに、
自分の正義(~すべき論)で相手を「常識のない人」と判断していたということですね。
この考えを頭の隅に入れておく
世の中にはいろいろな人がいます。
仲が良くても、家族でも意見が全て合うことなんてありません。
こうした方がいいのに!こうすべきなのに!と思うことも多々あると思いますが、
それで解決しないことに時間を割いたり、イライラして精神を披露させてもしょうがないので、
実害がない場合は、「そういう考え方の人もいるんだな、私は嫌いだけど。以上!!」と心の中で思って流しましょう。
最近私にあった事例は、
自粛期間中に、何にもやってなさそうに見えて、実はいろいろやってるんだろうなと思っていた同じチームメンバーが、まったくなにもしてなかった時ですかね。
「こうすれば良かったのに2か月何してたの!?」というのが瞬間的な本音ですが、彼は元々できるだけ働きたくない人なので、その人の行動についてイライラしたりするだけ無駄です。
会社としては損失ですが、彼が成長しようとしなかろうと、私には影響ないので、「そんな人もいるんだな」で終わりにします。