今日は最近気になった「距離感」について書いてみようと思います。
TwitterやFacebook、InstagramなどのSNSやYouTubeやvoicyなどなど、気軽に情報を発信できたり、コミュニケーションが取れるツールが沢山あり、リアルに繋がっていない人とも簡単にやりとりできる世の中になりました。
発信側だけではなく、それを受ける側のスタンスもちょっと変わっているのではないかと思います。
テレビやラジオと違って、受け手が少ない状況からも始められるので、フランクさが良くて親近感を持ち、フォロワー数やファン数の増加に繋がった発信者も多いと思います。
良くも悪くも簡単に反応を書き込むことができ、発信している人に対して何か反応した時に、
当人からの「イイね!」が付いたり、コメントのやりとりができることで、受けて側はテレビに出ている人よりも親近感を持って接していきます。
個人のキャラクターにファンがつくことは悪いことではなく、アイディアや商材で差が付けにくい現代では、属人的な傾向になるという意見もあります。
ただ、こういった関係性の中で注意したいのが受け手側の「距離感」です。
見ている景色は違うことを意識しよう
受けて側としては、その発信者1人を見ているわけですが、その発信者は何十・何百・何千・何万という相手を見ています。
テレビやラジオだけの頃は、自分が送ったメッセージが取り上げられたらラッキーぐらいに捉えられていたものが、
媒体が変わり、距離感を近く感じられたことによって、
「なんで自分の質問には答えてくれないのか」とか、
「なんで反応してくれないのか」というような思考になってしまう人がいます。
場合によっては「以前こういうメッセージを送っているのですが、取り上げられていません」というように、主張を繰り返すタイプの人もいるようです。
こういった受け手側が深層心理で持っている感情は、自分の思う通りに相手が動くという思い込みです。
相手を強制的に動かそうとする姿勢は、言ってしまえばファンではなくクレーマー予備軍のようなものだと思います。
反応がないことには理由がある
発信者側へ催促のメッセージまで送る状態は、
「ファン(フォロワー)である自分を大事にするべきだ」
「見てやっているのに」「聴いてやっているのに」という感覚が強く表れているように思います。
- コメント者が多く反応しきれない
- 個人的な意見・悩みのため、全体に向けて発信する内容に合わない
- 文が長すぎて何を言いたいのかわかりにくい
- 詳細がわからず、いろいろなパターンが考えられるため取り上げづらい
- 以前に同様の内容に答えている
- 高圧的な文で警戒された
コメントが採用されない理由はざっとこんなところでしょうか。
他人は思い通りに動かない
有料のセミナー受講者の中で実際に上がっていた意見で、私がより違和感を覚えたものをご紹介します。
発信者が説明をする中で、わかりやすくかみ砕いて話していて、巷にある説も疑わしいと思うということを自分の言葉でお話されており、話し方が途中フランクになった時がありました。
それに対して後日、違う媒体のコメント欄に「あの言葉遣いはどうなのか。あぁいった言葉遣いは聞きたくない。私はお金を払って受講していて、言わばお客様なのだから、そのあたりしっかり意識して喋って欲しい」というようなことを送っている人がいました。
もちろん、人を侮辱したり、汚い言葉遣いを連発するような話し方であれば、意見されるのも仕方ないと思いますが、
2時間のうちの1,2回の言葉の語尾を取って、わざわざクレームを付けて直せというのは、かなり強烈なキャラクターだなと思いました。
元々いた人たちが顕在化してきただけなのか、ネット社会が加速させる要因になっているのかわかりませんが、他者に対しての許容や理解の範囲が極端に狭く、自分に合う人しか受け入れられない人が目立つなぁと最近思います。
よくある考え方で「嫌なら見るな」という意見もありますが(もちろんそれも一つではあるのですが)、
もっと周りには多様な考え方の人がいるし、立場も様々であることを、広く視野を持って俯瞰して捉えられる人が増えればいいのになと思います。
以前も書きましたが、自分の中の「正義」は相手にとっては「正義」でない場合があるので、「好き」か「嫌い」かでサッと処理できるといいですね。